ドイツ代表のレジェンド、クローゼ選手が引退を表明。その経歴と功績とは?

ドイツ代表のレジェンド!ミロスラフ・クローゼ

最近のサッカー界は昔と違い、10代のスター選手や若手選手の台頭が目覚ましく、毎日のようにわくわくする話題が飛び込んできます。

反対に往年の名選手達も年齢を重ねるにつれ、さみしい引退の時期が来ます。

そんな中先日、サッカー界にあるニュースが飛び込んできました。

元ドイツ代表で、ワールドカップ得点王のミロスラフ・クローゼ選手が引退を発表したのです。

668″ src=”2016/11/k9890890″ “k9890890″ =”733″ =”464” />

クローゼ選手といえば我々の世代では、世界を代表するストライカーの一人で、様々なファンタスティックなゴールを見せてくれました。

今回は引退を発表したクローゼ選手のプレースタイルや、過去の功績について触れていきたいと思います。

■7部チームからトッププレイヤーへ。ワールドカップでセンセーションを起こした名ストライカー

670″ src=”2016/11/k8769″ “k8769″ =”593″ =”591” />

クローゼ選手はドイツ1部のカイザースラウテルンでプレーするまでは7部のチームでプレーしていたことが当時有名になりました。

現在、レスターシティで岡崎選手と同僚でイングランド代表のジェイミー・バーディー選手と同じく、苦労人です。

そんなシンデレラボーイはカイザースラウテルンでその才能を開花させ、着実にゴール数を伸ばしていきました。

ドイツ代表に招集されたクローゼ選手は初めてのワールドカップ挑戦となった日韓ワールドカップで5ゴールを挙げ、ロナウド選手に続く得点ランキング2位の成績を上げ知名度をさらに上げると、当時ブレーメンで活躍していたクローゼ選手は2006年地元開催のドイツワールドカップでは得点王に輝く活躍をあげ、自身もドイツトップレベルのチームバイエルン・ミュンヘンへ移籍しました。

クラブでの活躍はあまり記憶に残るものではありませんでしたが、クローゼ選手は代表戦になると真価を発揮する珍しいタイプで、2010年もFWの中心として南アメリカワールドカップへ出場し、出場停止はありながらも大会4得点、この時点で同じドイツのレジェンド、爆撃機と呼ばれたゲルト・ミュラー選手の記録と並び、時期のワールドカップでの通算得点記録の更新が期待されました。

その後、ドイツ代表引退もうわさされていた、2014年のブラジルワールドカップにも出場し、すでにエースストライカーとしての役割ではなかったものの、主に途中出場からでもきっちりとゴールという結果を残し、歴史的大勝を果たしたブラジル戦でも含め2つのゴールをマーク。

4大会連続ワールドカップ出場、ゴールと素晴らしい記録をたたきだし、ブラジルのロナウド選手の持っていたワールドカップ歴代通算最多得点王の記録を塗り替え、みごと「ワールドカップで最も得点を取った男」として記録に残りました。

■海外移籍後も結果を出し続けた名選手。引退後は指導者の道へ

2010年の南アフリカワールドカップ終了後、ベテランになったクローゼ選手は新たな出場機会を求め、自身初となるイタリアセリエAの名門ラツィオへの移籍を決断します。

669″ src=”2016/11/k9808″ “k9808″ =”837″ =”556” />

初の海外移籍に対して、周囲から懐疑的な目もありましたがそれをものともせず、移籍年当初から13ゴールと大活躍し、ラツィオのエースストライカーとなりました。

チームでは最終的に、クラブの外国人のゴール記録となる64ゴールを挙げ、ここでも新記録を樹立しました。

クラブチームではもともと代表で達成した偉業ほどの活躍は見せられなかったクローゼ選手でしたが、歳を重ねてから、しかも異国の地で結果を出し続けたという意味では最も成功したクラブといってもよいのではないでしょうか。

ラツィオのサッカーに、初めからいたかのようにフィットし、得点を量産していました。

現在はラツィオを退団し、フリーになっていましたがついに今月1日に現役の引退を表明し、今後は指導者としての経験を積むため、ドイツ代表のコーチとしてスタッフ入りし、現在のドイツ代表監督、レーブ監督のもとで働くこととなりました。

様々な挑戦をし、成功させてきたクローゼ選手、新たな道として選んだ監督業でも成功をおさめ、またテレビやサッカーニュースで彼の名前を見聞きできることを楽しみにしています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする